ぴよぴよひなまつり

5秒でつけた名前で10年ネットやってる

スメバミヤコ

こんばんは。
晦日に年間ノルマを達成していないことに焦って書いています。
紅白なんて見てる場合じゃねぇ!

2023年は生活基盤が大きく変わりました。
社会人になって4年間名古屋勤務でしたが、今年4月に東京に拠点を移しました。
東京に固執しているわけではないので、次会社辞めたくなったら大阪に戻るかな。
今日は愛知での話します。東京の話はまた別途。

名古屋の4年間。
一言で言うなら、「退屈」でした。

退屈だった要因は何だろう?何がいけなかったんだろう?
その辺の自問自答含め、良かったこともないかなぁと4つに分けて振り返る記事にしました。
東京に来た今だからこそ可視化できたことも多いだろうし。

名古屋の夜景。右端のオブジェクトの「飛翔」は最近撤去されたらしい。



1)育ちが違いすぎる
2)車社会アンチ
3)キャリアへの焦燥感
4)当事者意識の欠如


1)育ちが違いすぎる
自分は学生を終えるまで大阪育ちだったので、特に疑問を持たずに大学に進学しました。
2023年春の大学進学率は57.7%らしい。

www.yomiuri.co.jp

裏を返せば、42.3%は大学を出ていないということ。
こんなこと、考えたことすらなかった。

特に自分は割と優秀な中高一貫校だったので、余計に受験しない選択肢がない環境にいた。
狭い環境で限られた価値観で生きてきたんだなぁと実感するきっかけになった。

ただ、田舎者は何十年も「高卒」という枠でしか生きておらず、価値観が稚拙すぎるまま大きくなっている印象が強かった。
彼らは「愛知」という自分のナワバリから出ないから。
私のように、ほかの場所で新たな価値観に触れることがないからだ。

これは勉学に限った話ではない。
自分がやられたら嫌なことをしないとか、箸の持ち方とか、目上の方への敬語とか、「なってない」人間が多すぎた。
あまりに他者への理解・敬意を示さない。
こんな人たちと接しても疲れるだけで退屈・・・

社会人になって初めて、勉強をさせてもらえた親からの"育ち"に感謝した。


ただし、良かったことも1つある。

関西の外に出る。
それ即ち己の言葉遣いが目立つということ。
関西弁キャラになるわけですねぇ。

こんなインキャでも、愛知の女性からすれば少しは明るく面白く見えるらしい。
少しはバフがかかるようです。

関西の頃より女性にモテてよかったです。あはは。
関西人は移住が板!w


2)車社会アンチ
愛知県はトヨタ支配下だ。
これは覆しようのない事実。

なので車社会。電車が全然走ってない。
路線事情に限れば奈良より酷いと思う。
ラーメン屋行くだけでも車必須のところが多すぎる。

私は車が嫌いだ。
免許を持ってはいるが、ろくに運転していない。ATだし。
免許は金色に輝いている。

何故嫌いかというと、高校時代に友人の母が交通事故で亡くなったからだ。
居眠りのトラックに正面衝突され、即死だったらしい。

高校の授業中に知らされ、当時親しかった友人数人で葬式に出た。
あの空気を味わったら、乗りたいとは思えない。

話を愛知に戻そう。
愛知は車がないとどこにも行けない。
俺は車を持ちたくない。

結果、行動範囲が非常に限定されて退屈なのであった。


3)キャリアへの焦燥感
例えば、トイレ掃除の仕事がある。
例えば、駐車場整備の仕事がある。

これらを5年・10年やったら、どうなりますか?

多少手早く作業はできるようになるかもしれない。
でも、特に何も身につかないですよね。
これが単純労働です。変わり映えはありません。
退屈です。

ある日、ふと自分における「中期経営計画」を考えてみた。
数年後の自分の姿。

4年経った今、何も得ていないじゃないか・・・

大学時代の友人は就職後半年で銀行員を辞め、2年前に公認会計士になった。

退屈だと文句を言ってる間に、友人は超難関資格を得て新たな人生を歩み始めた。
この怠けた4年で失ったものは大きいと痛感した。

ある程度勉強したのに、何も活かせていない今の自分へ焦燥感だけが募り、行動を起こした結果今があるわけで。
動いてよかったなと思ってます。


4)当事者意識の欠如
これが最も根本的な自分の問題。

私はガリ勉なだけで大学に入ったわけです。
特にスポーツや音楽といった技能が評価されたわけではない。ペーパーテストのみだ。

勉強って、例えば化学式とか歴史とか、前提知識を習得して問題を解くじゃないですか。部屋の中で。
別に理科室にいる必要はないし、タイムスリップして平安時代に行かないと古文が読めないわけではない。
模範解答は決まってるし、それに辿り着くテクニックを覚える練習ですよね。

ただ、こればかりを繰り返してきた人間。
仕事はそうはいかない。

メール送るだけじゃ無視されるし、トラブルが起きたらまず客先に出向いて謝るのが営業マン。
所謂「三現主義」ってやつです。
部屋を出てナンボ、なわけですねぇ。

三現主義とは 机上の空論ではなく、実際に“現場”で“現物”を観察し、“現実”を認識した上で問題解決を図るという考え方のこと。 三現主義とは、“現場”“現物”“現実”の3つの“現”を重視し、机上ではなく、実際に現場で現物を観察して、現実を認識した上で、問題の解決を図らなければならないという考え方のことです。


机上でSDGsだの、増税クソ眼鏡だの、日本人女性の権利だの、語ってもしょうがないわけですね。
これが本当に難しい。

今まで傍観者として、先人の知識を真似ているだけでよかった。

サッカーの試合は、中継映像をドローン越しに俯瞰してみているから「こいつの守備が悪くて失点した」と分かる。
しかし私自身はサッカー未経験であって、現場も現物も現実も知らない。

私が今までハマってきたポケモンバトルとかカードゲームも、ポケモンやモンスターを使役して戦うのみで、トレーナーや決闘者は何もしてないわけじゃないすか。
基本的に私がやってきたことは常に傍観者であって、実体験が伴ったことには慣れていないんですよね。

なのでこの三現主義、即ち「当事者意識」を身につけろと言われるのが苦痛で退屈だった。

だって、製品不具合のトラブルを営業マンがお客に謝る意味は何?
製品を作ったのは別の人じゃん・・・って。

こういう無責任さが良くないんだぁと分かってはいるのですが、この三現主義のせいで随分退屈な仕事が多かった。
本当にくだらない打合せ・訪問ばかりで、大学出た意味は何だろう・・・と悩む時間が多かった。


・・・とまぁ長々と書きましたが、要は名古屋での生活は仕事・生活環境を始めとして、合わなかったというのが結論。
地方中枢都市ならOK!wと思っていた就活時代の自分を殴りたい。

住めば都。

うーん、少なくとも名古屋に対してこうは思えなかったな。
大阪での生活との相対評価になってしまって、全てが「退屈」だと思い、結局環境を変える決断をした。

都だったとは思えなくとも、あれはあれで良かったと納得できる人生にはしたいですねぇ。


この小説の1章スメバミヤコが非常に印象に残っている。
中学時代に図書館で借りて読んだ。

転勤族の家庭の男の子の話。
オチに出てくるスメバミヤコという言葉が印象的だった。
カタカナなのがいい、まだスメバミヤコを理解していない年頃なのが伝わる。

実は私、重松清の小説が好きなのです。
多分今まで話したことない新情報。
自分自身が転勤族の家庭育ちだったのも大きいとは思う。

転勤族家庭に育ち、自分も転勤族になりかねないサラリーマンになって、いい年になったものです。
子を成しても不思議ではない年齢。うーーーーん。。。

東京に来てからの話もそのうち書きます。

来年は健康で穏やかに充実した生活をしたいな。
2024年もよろしくお願いします!